これは残念なお知らせ
良いお知らせ、あるいは既に知っていたお知らせ
「私は、大した人間じゃない」
「あなたも、大した人間じゃない」
というお知らせ。知りたくはないし出来れば考えたくはないお知らせ。
が、しかし、実際そうなのだから、仕方がないです。
例えば私が「A」ができるとする。
が、もちろん世界には「A」ができる人なんて何万人もいるし、
「A」より凄い「A+」、更に凄い「A++」が出来る人もいるだろう
加えて「A」と「B」が出来る人もいる、だから、代わりはいる
この代わりというのは、社会的に見て。
日本でみてもいい、都道府県レベルでも、市区レベルでも、いいだろう、
町村レベルでは、あまり意味がない。町村レベルで見る意味は、そもそもない。
で、例えば、私が死ぬとする
誰でもいい、そこらへんの人が死んだとする。
そうするとその人の代わりになる人は、いないかと言われれば、嘘になる
何度も言いますが、これは社会的に見て。
じゃあ人間的に見るとどうかと言われれば
そもそも人間的に見るってのはどういうことかってことになって、
例えば「家族が悲しむ」「恋人が悲しむ」「友人が悲しむ」ってなるとする
が、その「悲しんでくれる人数」、特に「本当に悲しんでくれる人数」は、全体の何割だろう
例えば家族が3、友人が10ぐらいとする。本当に悲しんでくれる人数だけを考えた場合。
すると、13人。
これを地球、日本、東京都の3つのレベルで考えると・・・
とりあえず、大した数でもない。
数の問題ではないが、それでも広範囲で見ると、社会的にも、人間的にも、
少なくとも私は、大した人間ではない。
社会的にも人間的にも大した人間とは、なんだろう。
それを考えると政治臭がしそうなので、やめとくけど、そういえば
「私が死んでも代わりはいるもの」
ってセリフ、あったなぁ
良いお知らせ、あるいは既に知っていたお知らせ
「私は、大した人間じゃない」
「あなたも、大した人間じゃない」
というお知らせ。知りたくはないし出来れば考えたくはないお知らせ。
が、しかし、実際そうなのだから、仕方がないです。
例えば私が「A」ができるとする。
が、もちろん世界には「A」ができる人なんて何万人もいるし、
「A」より凄い「A+」、更に凄い「A++」が出来る人もいるだろう
加えて「A」と「B」が出来る人もいる、だから、代わりはいる
この代わりというのは、社会的に見て。
日本でみてもいい、都道府県レベルでも、市区レベルでも、いいだろう、
町村レベルでは、あまり意味がない。町村レベルで見る意味は、そもそもない。
で、例えば、私が死ぬとする
誰でもいい、そこらへんの人が死んだとする。
そうするとその人の代わりになる人は、いないかと言われれば、嘘になる
何度も言いますが、これは社会的に見て。
じゃあ人間的に見るとどうかと言われれば
そもそも人間的に見るってのはどういうことかってことになって、
例えば「家族が悲しむ」「恋人が悲しむ」「友人が悲しむ」ってなるとする
が、その「悲しんでくれる人数」、特に「本当に悲しんでくれる人数」は、全体の何割だろう
例えば家族が3、友人が10ぐらいとする。本当に悲しんでくれる人数だけを考えた場合。
すると、13人。
これを地球、日本、東京都の3つのレベルで考えると・・・
とりあえず、大した数でもない。
数の問題ではないが、それでも広範囲で見ると、社会的にも、人間的にも、
少なくとも私は、大した人間ではない。
社会的にも人間的にも大した人間とは、なんだろう。
それを考えると政治臭がしそうなので、やめとくけど、そういえば
「私が死んでも代わりはいるもの」
ってセリフ、あったなぁ
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