おとといか3日前くらい、
Wikipediaのとあるページの関連ページが、6つぐらい作られてない事に気付いた。
別に誰も困らないだろうけど、私はそれがどうしても気持ち悪くて、しょうがなかった。
その関連ページは全部で33ページぐらいあるんですが、
そのうち7ページぐらいがなぜか作られていなかった。妙に違和感もあった。
しかもそれが気になりだしたのが、深夜の2時過ぎぐらい。
そのまま寝たかったけど、その未作成の7ページぐらいが妙に気になって眠る気になれず、
結局wikipediaと真っ向勝負して、全てのページを作ってしまいました。
関係ないですが、今wikipediaでユーザ登録をした日を見たら2005年でした。7年前。
ユーザ登録せずにIP丸出しで編集してた期間も含めたら、利用歴は8年かもしれない。
そう、7・8年前のWikipediaと、現在のWikipedia。
編集し終わって気付いたのですが、
現在のWikipediaに放置された未作成ページを
わざわざ作る価値があるのか。
例えば7年も前になれば、音楽アーティストや本・漫画の項目自体が無かったり内容が薄かったりして、
そこをみんなの知識で寄せ集めて作る楽しさのようなものもありました。
しかし2012年現在、ほとんどの基本的なページはすべて作られ、内容も充実しています。
そしてなにより問題なのは、Wikipediaを信用してはいけないという常識が広まったこと。
これは確かに真実なのですが、そこにはちゃんとウィキペディアン(プロのウィキペディアユーザーの方)が「要出典」とか書いて正しい出典を求めたり、主観的な内容はちゃんと削除してくれてたりしています。
ただしそれはある程度知名度・人気のあるページだけで、マイナーな記事になると未だに記述が独特だったり主観的な内容で書かれてるページも多い。それは気付いた人が修正すべきだし、それがWikipediaをより良いものにしていくための第っぽでもあると確信してます。
しかし、、実際、編集するのはダルい。特に新規でページを作るのは、相当ダルい。
Wikipediaという百科事典ですから、記述方法にはルールがあります。テンプレートもあります。
それらを丁寧に誤字脱字が無いように書き上げ、かつ、内容が薄いと不必要とされかねない。
だから内容もある程度充実したものを書き上げ、そして出典も(できれば)明記し、はじめて完成。
そんなWikipediaをなぜ今まで閲覧し続け、そして編集し続けられたのか。
それはWikipediaが私にとって「趣味の拠り所」であるから。
百科事典ですから、私の好きなこと、物、人に関する記事はほとんどページとして作成されてます。
そしてその「好き」という気持ちが、面倒なページ作成すらも可能にしてしまう。
今や、そんな動機で誰も見ないようなページを作っている人も多いかもしれません。
少なくとも、私はそうです。しかも内容は、かなり公平性を持ち事実しか書かないようにすると。
この考え方が広まれば、Wikipediaから赤色のリンク(未作成ページ)が少しでも減るはず。
あとは、Wikipediaを更に信用できるものにするために、どうすればいいか考えよう。
うーん
書いてることを検索して、自ら検証、するとか。
二度手間だなあ
Wikipediaのとあるページの関連ページが、6つぐらい作られてない事に気付いた。
別に誰も困らないだろうけど、私はそれがどうしても気持ち悪くて、しょうがなかった。
その関連ページは全部で33ページぐらいあるんですが、
そのうち7ページぐらいがなぜか作られていなかった。妙に違和感もあった。
しかもそれが気になりだしたのが、深夜の2時過ぎぐらい。
そのまま寝たかったけど、その未作成の7ページぐらいが妙に気になって眠る気になれず、
結局wikipediaと真っ向勝負して、全てのページを作ってしまいました。
関係ないですが、今wikipediaでユーザ登録をした日を見たら2005年でした。7年前。
ユーザ登録せずにIP丸出しで編集してた期間も含めたら、利用歴は8年かもしれない。
そう、7・8年前のWikipediaと、現在のWikipedia。
編集し終わって気付いたのですが、
現在のWikipediaに放置された未作成ページを
わざわざ作る価値があるのか。
例えば7年も前になれば、音楽アーティストや本・漫画の項目自体が無かったり内容が薄かったりして、
そこをみんなの知識で寄せ集めて作る楽しさのようなものもありました。
しかし2012年現在、ほとんどの基本的なページはすべて作られ、内容も充実しています。
そしてなにより問題なのは、Wikipediaを信用してはいけないという常識が広まったこと。
これは確かに真実なのですが、そこにはちゃんとウィキペディアン(プロのウィキペディアユーザーの方)が「要出典」とか書いて正しい出典を求めたり、主観的な内容はちゃんと削除してくれてたりしています。
ただしそれはある程度知名度・人気のあるページだけで、マイナーな記事になると未だに記述が独特だったり主観的な内容で書かれてるページも多い。それは気付いた人が修正すべきだし、それがWikipediaをより良いものにしていくための第っぽでもあると確信してます。
しかし、、実際、編集するのはダルい。特に新規でページを作るのは、相当ダルい。
Wikipediaという百科事典ですから、記述方法にはルールがあります。テンプレートもあります。
それらを丁寧に誤字脱字が無いように書き上げ、かつ、内容が薄いと不必要とされかねない。
だから内容もある程度充実したものを書き上げ、そして出典も(できれば)明記し、はじめて完成。
そんなWikipediaをなぜ今まで閲覧し続け、そして編集し続けられたのか。
それはWikipediaが私にとって「趣味の拠り所」であるから。
百科事典ですから、私の好きなこと、物、人に関する記事はほとんどページとして作成されてます。
そしてその「好き」という気持ちが、面倒なページ作成すらも可能にしてしまう。
今や、そんな動機で誰も見ないようなページを作っている人も多いかもしれません。
少なくとも、私はそうです。しかも内容は、かなり公平性を持ち事実しか書かないようにすると。
この考え方が広まれば、Wikipediaから赤色のリンク(未作成ページ)が少しでも減るはず。
あとは、Wikipediaを更に信用できるものにするために、どうすればいいか考えよう。
うーん
書いてることを検索して、自ら検証、するとか。
二度手間だなあ
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